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キム・シンジョ ゲリラ兵!北朝鮮からたった一人の生き残り!その後牧師になった衝撃人生がアンビリバボー!
洗脳が解けて何を語ったのか。

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青瓦台襲撃未遂事件(せいがだいしゅうげきみすいじけん)は

朝鮮戦争の休戦は953年7月27日、北緯38度線、軍事境界線として、朝鮮半島は北部の朝鮮民主主義人民共和国と南部の大韓民国の南北二国に分断されている。

3年間に及ぶ戦争で朝鮮半島全土を戦場と化して荒廃させた。
終戦ではなく、休戦状態である。

北朝鮮は1966年、対南工作を専門とした第283部隊を設立。
1967年8月12日に第283部隊を124部隊に改編してゲリラ部隊を韓国に潜入させる準備を進めた。

休戦から15年後の1968年1月にこの事件は起こった。
北朝鮮の特殊部隊124部隊により韓国に潜入。
大韓民国大統領府「青瓦台」へ襲撃しようとして失敗した。

1.21 事態、金新朝事件(キム・シンジョじけん)とも呼ばれる。

2017年11月23日放送の「奇跡体験!アンビリバボー」は
この事件について放送する。

事件の詳細は

1968年1月16日午後10時、第124部隊第1中隊第1小隊に所属する31名は、北朝鮮の黄海北道延山郡にあった第124軍の基地からバスに乗って出発した。

この31人は数日前、対南浸透の指令を受けると同時に重さ24kgのリュックサックを手渡された。

リュックの中身は、師団マークの入った韓国軍の軍服、バーバリーのコート、スーツ、スニーカー、腕時計、望遠鏡、トランジスタラジオ、韓国の地図、アスピリン系やペニシリン系の薬、するめいか、飴、機関短銃、拳銃、手榴弾などだったという。

1月15日に行われた歓送パーティで、31人は、ビール、ウォッカ、人参酒、生姜酒、ハッカ酒など、ありとあらゆる酒を出された。

当時の第124軍の部隊長は、過去に透韓国定住スパイと接触しようとして見つかり、腹に銃弾を浴びながら逃げかえってきた英雄だったという。
その部隊長は韓国との境界付近まで付いてきて
「首領同志の命令どおり任務を遂行することを誓います」という血書を書かせ、任務の最終確認した。

「第1組は青瓦台の本庁舎2階、第2組は1階、第3組は警護室、第4組は秘書室を攻撃し、その間に第5組が正門の歩哨を除去して車を奪取し、脱走の準備をする。君たちが無事北朝鮮に戻ってきたときに哨所で言うべき暗号は611だ」

キム・シンジョは第2組の班長だったという。

1968年1月16日午後9時頃に韓国軍第26師団の模擬制服で変装して出発、かなり雪が積もっていた。
2人が斥候として先行し、残り29人が後からついていく。
最後の2人は後ろ向きに歩きながら松の枝で足跡を消していく。

午前0時頃、南方分界線を越え、鉄条網を切断しながら慎重に前進する。
午前5時頃には宿営地を確保、昼間は音を立てずに潜伏する。
日没後また前進を繰り返す。

その翌日、偵察の2人が民間人男性と遭遇してしまう。韓国軍の制服を着ていたが、身分を明かすことに。

スパイの鉄則として「すぐに〇して地中に埋める」ということになっているが、その民間人を木に縛りつけて、残りの29人の所へ戻り、どう対処すべきかについて意見を求めた。話し合った結果、
身分証などで住所氏名等を教えさせ、「通報すれば一族もろとも消す」と口止めし解放した。

この民間人は解放されたのち警察に通報する。

その後、不安になり無線で北朝鮮の上官に指示を仰ぐも、数字の暗号文を、誰も解読することができず、そのまま進むことに。

後にその上官の指示は「原隊復帰」つまり北朝鮮へ帰って来いということが判明している。

1968年1月20日午後5時頃、ソウル市北郊にある北漢山の碑峰に到着。気温は氷点下20度だった。

予定では、翌21日(日曜日)の早朝までに青瓦台に隣接する北岳山に到着し、同日夜に青瓦台を襲撃となっていた。

しかし、道に迷い、夜が明けても山の中を彷徨っていた。
韓国軍のヘリコプターが飛び、ゲリラ兵を探していた。

ゲリラ兵は私服に着替え(日本の背広とバーバリーのコート)
機関短銃と拳銃と手榴弾だけを持ち残りの荷物は土の中に埋め目的地まで歩くことに。

検問で、ジープから鍾路警察署長が出てきて身分証の提示を要求。「自分たちは防諜隊員で、これから隊にもどるところであり、あいにく身分証は携帯していない」と説明すると
「鍾路警察署長を知らない防諜隊員がどこにいる?」と。

ゲリラ兵は鍾路警察署長を自動小銃を乱射して山へ逃げて行った。韓国軍と警察部隊の2週間に及ぶ掃討作戦の結果
1名が逮捕、29名が射殺され、1名が自爆と言われているが
1名か2名は負傷しながらも北朝鮮に戻ったとも言われていて
この逃げ帰った1人は北朝鮮で英雄の称号を与えられ、後刻、対南工作の指揮官になったとも。

そして、一人逮捕されたのがキム・シンジョ。
彼によると

私は、護身用の手榴弾1個を除いてすべての武器を捨て、よりすばやく移動できるようにしました。午前3時頃、私は仁王山の北西斜面の8合目あたりにいました。空には三日月がかかっていました。「事が成功していれば今頃は意気揚々と臨津江を渡りながら北朝鮮を目の前にしていたはずなのに」と残念さを噛みしめながら歩を進めていたその時、私の前に幽霊が現れました。それは、岩陰に隠れていた韓国軍兵士でした。私はとっさに手榴弾を手に取りました。自〇をするためです。北朝鮮のスパイは絶体絶命の瞬間には自〇をせよと教え込まれています。しかし、その時、私の脳裏に、もう3年間も会っていない妻や子供たちの顔が浮かんできました。「妻や子供たちにもう一度会いたい」という気持ちが猛烈に湧きあがってきました。「投降して生き延びよう」と思った瞬間、私の手から手榴弾が滑り落ちました。私はその場で韓国軍兵士に逮捕されてソウル市西大門区弘恩洞の警察署へ連行されました。警察署の中が非常に暖かかったことを今でも覚えています。その後の捜査の中で、私の手から滑り落ちた手榴弾は不良品で起爆しないものであることがわかりました。私は、決して自〇できない運命にあったのです。
引用:北朝鮮の武装スパイが牧師になるまで

逮捕された当時27歳の金新朝(キム・シンジョ)の供述によって
北朝鮮における特殊部隊の存在が明らかになった。
「軍事独裁を敷く朴大統領が殺害されれば、韓国民衆は必ず労働者革命を起こす」と分析していたという。

なによりキム・シンジョはテレビカメラに向かって
「私は朴正煕の首を取りにやってきた」と自分にとって不利なこと、韓国国民に衝撃を与えるを言った。それはなぜか?

その後キム・シンジョ氏は忠清南道禮山郡にあるキリスト教会「禮山聖楽教会」の牧師に

私の人生は、山中で韓国軍兵士に逮捕された日から180度変わりました。韓国の捜査官は常に紳士的な態度で私に接しました。射殺された29人の遺体を捜査官とともに1体ずつ確認している間、私は非常に複雑な思いでした。それでも私は生きていてよかったと思いました。しかし、取調べを受けながら北朝鮮での26年間を語るとき、胸の詰まるような思いが何度も込み上げてきました。また、妻や子供たちが北朝鮮当局から拷問を受けていないか、非常に気がかりでした。

私の意志とは無関係に始まった韓国での生活。私に人生計画にまったく描かれていなかった新しい生活。北朝鮮という根を失った私にとって、もはや自分の力でできることは何一つありませんでした。そうした中で、私は救い主イエスと出会いました。その方は、限りなく私を愛し、限りなく私を赦してくださる方でした。私は、その方にすがるよりほかに心を落ち着けて生きていく方法がありませんでした。そして、かなりの年月が流れ、私はキリスト教会の牧師になりました。「こんな私をも神は愛してくださった」というあかしを、私はこれからも続けていきたいと思います。
引用:北朝鮮の武装スパイが牧師になるまで

青瓦台襲撃未遂事件のまとめ
場所    大韓民国ソウル市鍾路区
標的     朴正熙大韓民国大統領
日付    1968年1月21日
概要     北朝鮮工作員による韓国大統領暗殺未遂
攻撃側人数  31名
死亡者 97名 北朝鮮人民軍29名、韓国68名
行方不明者  2名

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朴政権の対応は

朴正煕大統領は事件直後、駐韓アメリカ大使に

「北の奴等が私を〇しにきた」
「北を攻撃しなければならない。2日で平壌まで進める」

事件を北朝鮮が謝罪しない場合は、報復攻撃を行うべきだと
アメリカのリンドン・B・ジョンソン大統領に書簡を送っている。

しかし、アメリカはベトナム戦争の真っただ中で韓国にまで軍事行動は無理だった。
そして、北朝鮮の背後にいるソビエト連邦と直接戦争になるのを恐れ軍事行動はしなかった。

アメリカの援助を受けられないと知った朴は軍の北進を断念する。しかし朴は「われわれは日夜、このようにやられてばかりいるのか。何か方法はないのか。報復する方法が」と北朝鮮への対抗策を求め金日成暗殺部隊の創設を決意したといわれている。

1968年4月に創設された空軍2325戦隊209派遣隊は創設年月から通称「684部隊」と呼ばれ、青瓦台を襲撃した北朝鮮工作員の人数と同じ31人の隊員から構成した。

しかし、1971年に計画は撤回

すると684部隊の待遇は悪化し、不満が増大した部隊員は1971年8月23日に叛乱を起こす。
バスを乗っ取ってソウル市内に向けて進み、軍・警察との銃撃戦の末に自爆した(実尾島事件)

この事件は、後に『シルミド』として映画化される

北朝鮮の独裁国家はいつまで続くのか

この事件を調べていて大韓航空事件の犯人、金 賢姫(キム・ヒョンヒ)氏を思い出した。
彼女も特殊工作員だった。
薬を服用するも生き残ってしまった。

そして、取り調べの優しさに聞いていたことと全く違っていたことに驚き取り調べの警官はクリスマスのソウルの街に彼女を連れだした。
町がキラキラしていてカップルが幸せそうにデートして
自分たちが今までやってきたことは何だったんだろうと衝撃を受けたと後に言っていた。

キム・シンジョ氏も「韓国の捜査官は常に紳士的な態度で私に接しました」と語っている。

攻撃を受けても同じ民族という気持ちもあって、報復はしないのか韓国は紳士的だということがわかる。

北朝鮮兵士の亡命

つい最近も軍事境界線を破って北朝鮮兵士が脱北した。
銃弾を浴びながら、命からがらも何とか亡命できた。
専門家によると一番警戒が厳しい軍事境界線をで突破したことにびっくりしている。警戒が緩くなっているということなのではないか?

24歳の鍛えられた兵士で驚くほどの回復ぶりだという。
亡命のことに関しては詳しくは語っていないが

初めに話したこてこと「ここは韓国か?韓国の歌が聞きたい」だったとか。
そして、「音楽はk-nopが好きで、映画はアメリカ映画が好きだ」と言っているという。

北朝鮮でアメリカ映画を観ていたことや韓国の音楽を聴いていたことがわかれば、きっと死刑だろう。

それでもネットの時代の今、完全に情報を遮断することは難しくなっているだろう。

金正恩は北朝鮮をいつまで続けられるのか。崩壊する日が来るのだろうか。

国民はやせ細っていて、自分はあれだけ太っていることだけ見ても国民を大切にする党首でないことはわかるが。

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